第2回九州・アジアメディア会議、内外記者が一堂に、観光、文化を議論
2015年4月21日

第2回九州・アジアメディア会議は、2014年12月4日、福岡市の電気ビル共創館みらいホールで開催しました。総選挙と重なったため、マスコミ関係者の出席が危ぶまれましたが、アジアから6カ国の記者、九州の8報道機関がパネリストとして出席、「観光交流と都市力強化」、「都市における文化の役割」について議論を深めることができました。主催者は、国連人間居住計画(ハビタット)福岡本部、九州経済連合会、福岡経済同友会、九州商工会議所連合会、九州経済調査協会、九州情報リエゾンに、福岡アジア文化賞25周年を記念して福岡市が加わりました。会場には、九州に拠点を置く報道機関の記者や幹部、それに主催団体から約150人が出席、議論を見守り、会場からの意見表明も行われました。

第1部「観光交流と都市力強化」では、まず松山良一・日本政府観光局理事長が「日本とアジアの観光交流」との演題で基調講演。観光と地域の関わりについて、日本側からは、交通機関、標識などに外国語表記が少なく、Wifi環境が整っていないなど、観光インフラが地方に行くほど未整備と指摘。さらに、海外であれば、民俗芸能のショーや音楽公演などナイトツアーが準備されているのに、日本では夜に観光客が行くところがない。踊りや音楽なら言葉が必要ないので、地方の特色を生かしながら世界に通用する楽団などを育てるべきとの意見も。これに対して海外記者からは、「福岡なら屋台が面白い」と都市の魅力に言及。さらに、「おもてなし」の精神が観光関係者だけでなく、見学先を離れるとき、その職員らがバスが見えなくなるまで手を振って見送ってくれるなど、住民にまで根付いていると賞賛した。アジアの国々でも観光客には親切にしているつもりだが、観光客相手のぼったくりも目立ち危惧している、とも。
さらに観光と他産業との組み合わせについて、土地土地の新鮮な食材をはじめ農水産業との相性の良さを双方が強調した。インドネシアの記者は、田舎に行けば、多様性ある伝統や自然の美しさに触れることができるだけでなく、田舎としても観光客が興味を持つような独特で質の高い製品を作る動機づけになる、と指摘した。

第2部「都市における芸術・文化の役割」では、シンガポール芸術祭の総監督を務めた舞台芸術家オン・ケンセン氏が「シンガポールの文化政策と国際芸術祭」と題して基調講演、シンガポールが試行錯誤を経ながら、芸術・文化を都市政策、都市づくりの重要な要素としてきたことを披露した。日本側は、芸術・文化を即観光資源として利用することには否定的だったが、結果的に都市の魅力になるとし、福岡市がアジアの文化活動を25年にわたって発掘してきたことを評価した。

韓国の釜山日報記者は、来年20周年を迎える釜山国際映画祭の成功をスタート時から取材してきた経験をもとに紹介した。成功の秘訣は、地域性を活かした、カンヌやベネチアの映画祭のようなコンペティションとは違う非競合的な映画祭にしたこと。そこに行けば、韓国映画だけでなく、その年、アジアで作られた映画をほとんど観ることができる、として数々の世界的な映画関係者が訪れる。観客にとっては、普段商業映画館で観ることが難しい映画を見ることができる点と、著名な俳優や監督を間近に見ることができる点で、爆発的な人気を博し、毎年、20万人が訪れる世界的にも珍しい映画祭として定着した。その結果、釜山に住む人々は、釜山に住んでいることがこれまで以上に幸せだと言うようになった。

また、参加したアジアの記者を対象に、北九州および国東半島芸術祭を展開した大分への視察旅行を実施しました。芸術・文化による地域再生、地域の活性化の試みを視察の中心に据え、観光による都市力強化のあり方についても考えさせる行程としました。参加者からは「山寺の一角に世界的彫像作家の作品があったのに感激した」(千燈寺のゴームリー氏=英国人=作品)、「子供の時に親しんだマジンガーZなどアニメのキャラクターが飾られ、日本の方と同時代を共有したことが分かりうれしかった」(豊後高田・昭和の町)など、国東半島の試みが高く評価、会議でも報告され、日本側との議論を盛り上げてくれました。
また、北九州市のエコタウンセンターの視察では、市民の出資で太陽光発電施設がつくられていることを知り、市民と一体となった環境政策に強い関心を示し、さらに最先端の水素活用実験を賞賛していました。

会議の内容については、西日本新聞で詳報(12月28日付)が掲載され、熊本日日新聞でも詳しく紹介(2015年1月9日付)され、アジアの記者たちの国東半島視察を大分合同新聞が紹介(12月4日付)しました。
アジアからの記者たちも帰国後、会議の内容や視察内容について、上海日報、タイ・カオソド紙、インドネシア・コンパス紙、フィリピン・デーリー・インクワイヤラー紙などで報告記事を執筆、掲載しました。